アポロ計画捏造説#68 アーサー・C・クラークについて

アポロ計画捏造説#67 では、 プルトニウム238の原子力電池を使った宇宙開発プログラムについてまとめました。

今度は原子力電池を1945年に予想したアーサー・C・クラークについてまとめようと思います。

というのも、アーサー・C・クラークは原子力電池を予想しただけでなく、ビル・ケイシングのアポロ陰謀論の中ではアポロ計画の脚本を作成したとも述べられているからです。(※アポロ計画捏造説について⑬ビル・ケイシングの陰謀論 参照)


アーサー・C・クラークとは
イギリス出身のSF作家、サイエンスライター、未来志向派、海底探検家、テレビ司会者。1917年生まれ2008年没。代表作に「2001年宇宙の旅」、「幼年期の終り」、「宇宙のランデヴー」、「楽園の泉」などがありました。生涯にわたって宇宙旅行支持者でした。


概要
1950年代から1970年代にはロバート・A・ハインライン、アイザック・アシモフと並んでビッグ・スリーと称されるSF界の大御所として活躍しました。

第二次世界大戦中、1941年から1946年まで、イギリス空軍にてレーダー技師を務めました。1945年には人工衛星による通信システムを提案しました。1946年から1947年まで英国惑星間協会の会長を務め、1951年から1953年にも再び会長を務めました。
1956年、スリランカに移住し、死去するまでほとんどの期間をそこで過ごしました。

1969年7月20日、アポロ11号の月面着陸の時には、コメンテーターとしてCBSに出演しました。

2007年9月、NASAの探査機カッシーニが土星の衛星をフライバイしたことについて、クラークがビデオで歓迎の言葉を送りました。

クラークはキャロル・ロジンによって設立された宇宙協力機関(Institute for Cooperation in Space)の名誉理事長で、ウェルナー・フォン・ブラウンによって設立された宇宙擁護組織の国立宇宙協会の理事会も勤めました。(※ウェルナー・フォン・ブランについては アポロ計画捏造説⑱アポロ計画捏造説#38アポロ計画捏造説#61 を参照)

クラークはホモセクシャル、小児性愛者であり、またハイレベルのフリーメーソンでもありました。(※フリーメーソンについては アポロ計画捏造説#43 を参照)


静止衛星についての寄与
静止衛星の概念そのものはクラークの発明ではありませんでしたが、人工衛星による電気通信のリレーというアイデアはクラークのものです。1945年にそのアイデアを論文にし、英国惑星間協会の主要メンバーに見せました。その論文を改稿したものを同年10月に科学雑誌“Wireless World”へ寄稿し、現在、通信の基幹となっている衛星通信の構想を初めて科学的に示したとされています。クラークは宇宙開発に関する科学解説書もいくつか書いており、「宇宙の探検」(1951年) と「The Promise of Space」(1968年) が特に有名です。赤道上空高度36,000kmの静止軌道を衛星通信に利用するというアイデアを提唱したことから、国際天文学連合はその軌道を公式に「クラーク軌道」と名付けました。


2001年宇宙の旅
アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックのアイデアをまとめたストーリーに基づいて製作された、SF映画およびSF小説。映画版はキューブリックが監督・脚本を担当し、1968年4月6日にアメリカで公開されました。

小説版が原作として先に書かれたものであると勘違いされることが多いのですが、小説は映画の公開の後に発表されている上、その小説にはアーサー・C・クラーク独自の解釈がかなり取り入れられていることからも、小説版と映画版は明確に区別する必要があります。
小説ではクラークの意向により、木星を利用したスイングバイという設定を用い、土星と木星両方にディスカバリー号を行かせています。

後にクラークが執筆した「2010年宇宙の旅」はパラレルワールドとされ、ストーリーの多くの部分は続編の形を取りながら、主な舞台は木星周辺となっており、そこだけは映画版と同一になっています。「宇宙の旅」シリーズは、更に「2061年宇宙の旅」「3001年終局への旅」と、計4作執筆されており、シリーズ作品全ての作中設定は前作までの多くの部分を踏襲してはいるのですが、基本的にはパラレルワールドであるとあとがきやまえがきで触れられています。

「2001年宇宙の旅」については、スタンリー・キューブリックと共同でアカデミー賞脚本賞にノミネートされました。

「2001年宇宙の旅」以降、クラークは科学コメンテーターとしてメディアによく登場するようになり、特にアポロ計画についてコメントを求められることが数多くありました。アポロ13号の指令船は「2001年宇宙の旅」に因んで "Odyssey" と呼ばれました。


サイエンスライター
クラークは宇宙旅行の概念を一般的なものにしました。1950年には専門家でない一般の人向けに宇宙旅行の基礎を解説した「惑星間飛行」を執筆しました。その後も「空間の探査」(1951年)、「宇宙船の挑戦」(1959年)、「空からの声」(1965年)、「宇宙の約束」(1968年)、「第三惑星からのレポート」(1972年)といった宇宙旅行についての本を出版しました。


考察
アポロ計画の偽装に直接関与したという明確な証拠はありませんでしたが、アポロ計画、NASAにものすごく深くかかわっていたことが分かりました。スイングバイははじめはクラークによって作られたSF上の設定でしたが、現実にNASAで取り入れられたということも分かりました。アポロの偽装を擁護する活動もたくさん行っていました。

スイングバイはアポロ計画でも用いられており、アポロ月面着陸の脚本を書いたのはアーサー・C・クラーク以外に考えられないと思いました。

また、アポロ計画の直前にスタンリー・キューブリックと共同で映画を撮影しており、クラークがアポロに関与しているなら、スタンリー・キューブリックも関与しているのはまちがいないと思います。キューブリックの疑惑の方が有名ですけどね。

次はスタンリー・キューブリックについて、まとめようと思います。

アポロ計画捏造説#69 につづく

参考URL
Wikipeida - アーサー・C・クラーク
Wikipeida - 2001年宇宙の旅
Wikipeida - Arthur C Clarke
https://aplanetruth.info/2015/08/20/the-occult-roots-of-nasa-and-the-ongoing-fraud-part-2/

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